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「ねぇ、サンジくんの誕生日って、いつだっけ?」



生まれた日に。


「俺ですか?」
「そ、サンジくんのよ」
いつか問われるだろうと覚悟していた問い。
当たり前といえば当たり前だった。
作った誕生日ケーキの個数を頭の中で数えると、 クルー達の誕生日はサンジだけを除いて既に一巡しているどころか二巡目も半ばの筈。誰がそれを尋ねようと思った所で何もおかしくはない。
それでも今まで話題に上ることが無かったのは、剣士の無関心と狙撃手の配慮、そして彼女――航海士の賢明さによるものだろう。

おやつ前のキッチン。オーブンから微かに漏れる甘い香りの中、ナミは黙って微笑んでいる。
洗い物の手を休めて清潔な布巾で手を拭ってから、きちんとナミに断ってサンジは煙草に火をつけた。
その間もナミはずっとサンジを見ていて、サンジは、ナミがテーブルの上に広げている航海日誌を見ていた。 単に目のやり場が無かった。それだけのこと。
「…いつ、だったかな」
ぽつりと呟きを落とす。困ったように笑うと、小さな一言を聞き逃したらしいナミが窺うように首を傾げた。
「サンジくん?」
「ごめんね。誕生日って、俺、無いんだ。人のは職業柄やっぱ祝ったりもするし忘れたりしないんだけど、 …自分にまで、考えが及びませんでした」
しょげた顔をして、ゴメンナサイ、ともう一度謝るとナミ表情が曇った。
「サンジくん」
「えと、俺考えるよ。自分の誕生日。それでいいかな、ナミさん」
決めたら教えるね、とサンジはへらりといつものように笑った。
「あの、」
「んナミさーん、パイがもうすぐ焼き上がるからあいつら呼んで来てくれませんかっ!今日は後部甲板でゆったりティータイムなんて如何ですか?」
「…分かったわ、呼んで来てあげる」
(ごめん、ナミさん)
今自分はものすごくひどいことをしている、とサンジは思った。
答えを許さない、こういう喋り方は元来サンジの好まないところではある。
でも、今だけ。今だけ許して欲しかった。
キイ、と扉が開く音。扉を押す細い背中に声を掛けた。
「ナミさん」
振り返るナミの表情はやはり明るくは無い。
だめだ、と思う。
だって貴方は俺たちの太陽が愛でる唯一の花。
「この船で祝って貰えたら、それだけで今までの分取り返せると思うよ。だから」
笑って、ナミさん。
キッチンを出て行く前に「これでひとつ貸しよ」と言って、ナミは小さく笑った。
いつもの、笑顔で。



ナミが出て行き、静かに閉じられた扉をぼんやり眺めながらサンジは考える。
(誕生日、か)
この世に生を享けた人間である以上、生まれた日があるのは当然のことだ。
だがその日がいつなのかをサンジは知らない。

自分の誕生日と定められた日はあると言えばある。
助かったあと、まだ二人でバラティエを切り盛りしていた頃、ふいにゼフに誕生日を尋ねられた。
「誕生日なんか無ェ」と何の感情も無く一言告げた自分に彼がくれた誕生日は、ゼフと二人あの孤島から助けられた日だった。 その年、サンジは生まれて初めてバースデーケーキを食べた。
あまいあまいそれ。
なのにどこか、ほろにがい。

3月2日。

仲間に知らせることに躊躇いがあるわけではない。
彼らはきっと、これまでのことなど何も気にせず、 けれどこれまでの分まで併せて懸命に祝おうとしてくれるだろう。 そんな確信は不思議とある。

『あんたなんか、生まなければよかった』
大抵は冷たい冷たい声で、呟くようにその言葉は紡がれた。
(ごめんね)
その女性はうつくしい人だった。 記憶は確かに朧ろだけれど、それだけは間違いない。 幼い自分の傍にいたのはその人だけだった。
白くて細い手をしていて、爪にはいつも綺麗に赤い赤いマニキュアが塗られていて。
その綺麗な手で、その人は毎日サンジを殴った。
『あんた、なんか―――』
ときどき、アルコールが入ると、泣き叫びながらその人は幼い自分を殴った。
『あんたさえ、』
聞いている方が悲しくなるような、苦しそうな声で、いつも。
『あんたさえいなければっ』
ツキン、と頭に痛みが走る。扉の向こうから、どたどたと階段を上る音がする。
ああ、ちゃんと立たなくちゃ、とサンジは思う。



『xxxxx、xxxxx、――そして、世界で一番大嫌いよ。』



あの人の声は、まだ消えない。

***

おやつのあと、倉庫へ夕食の食材を取りに行くと扉の前でゾロが眠っていた。 主人を守るように二本の刀が左右の傍らにあり、白い一本を抱えて目を閉じている。
呼んでも来ないと思っていたらこんなところで眠っていたのかとサンジは嘆息した。
眠る、きれいな生き物。
生きて生きて生きて、ひとつの願いをかなえるために存在している男。
「…、ゾロ」
「んだ?」
試しに声を掛けると、壁に背を預けて座ったままゾロがいらえだけを返した。
声音はしっかりしているから、今声を掛けたせいで目を覚ましたわけではないらしい。
しゃがみこんで顔を覗き込むと、けれど、ゾロは目を閉じたままだった。
「おやつ。ルフィたちもう食っちまったぞ」
「…あァ」
悪ィ、と言ってゾロが大きく欠伸をして伸びをする。 サンジはどこかだるそうにガシガシと頭を掻く剣士の様子を少し首を傾げて顔を覗き込みながら謝罪に応えた。
「おう。お前用にアルコール効かした甘くねェやつよけてあるから、夜にでも食え」
「分かった」
そこでようやくゾロは目を開くとサンジをまっすぐに見つめた。
「どうかしたか?」
サンジの顔が映る、みどりの色に浮かぶのは、少しの心配と戸惑いのいろと、
「…いや、別に」
何も無ェ、と言おうとして、言葉に詰まる。

誕生日を祝うのは好きだ。
自分が一生懸命作った料理を美味いと言って貰えるのも嬉しいが、そういう時の表情を見るのが好きだ。祝う方も、祝われる方も。
とても、幸せそうで―――だから。

だから、自分には。

「俺な、誕生日きらいなんだよな」
「ああ」
「ジジィがくれたんだ、俺の誕生日。でも」
「…」
「俺は」

『あんたなんか、生まなきゃよかった…!』

「な、ぞろ。俺、誕生日祝って貰ってもいいのかな」

視線と一緒にぽつりと落ちた言葉の答えは発されることなく沈黙が落ちる。
ああやっぱ唐突にこんな話は無いよな。 間違えた失敗した、という言葉がサンジの脳裏を掠めた時、つと、ゾロの無骨な指がこちらに伸びてきた。
「え」
「なんで、泣く?」

ないて いる?

「…ッ!」
「隠すな。擦るな。腫れるぞ、ガキかお前」
「〜〜〜〜ッ!!!」
誕生日ねェ、とぼやくように呟きながらゾロの指がそっとサンジの目元を拭う。
「ルフィ?…いや、ナミか」
思わずこくりと頷いた自分に、ばかか俺、と己で突っ込むサンジの髪を、 いつもは刀をしっかりと握り締めている大きなゆびさきがそっと梳いていく。
あたたかいその手の動きは、魔獣の異名に反して恐ろしく優しい。
(あれ)
知っている。こんな風に、この手が優しく触れることを自分は知っている。
そして難なく受け入れられるほどに、慣れている。
(あ、れ…?)
ぐるぐる回り始めたサンジの思考を遮ったのは静かなゾロの言葉。
「なぜそう思う」
「…」
静かに問いを投げ掛けられたことで一気に引き戻された思考に、サンジは戸惑った。 途端に心を占めていくのは強く深く暗い、 先ほどの頭痛とは比べ物にならない程にぎりぎりと痛みを伴う罪悪感。
「だって、」

「母さんは、ずっと、俺のせいで泣いて、」
「…棄ててくれて、ほっとした。これでこの人は幸せになれるかなって」
「泣かないでくれるかなって」
笑ってくれるかな。なんて。
ずっとずっと望んでいた自分には、それを見ることはただの一度も叶わなかったけれど。
「死んでもいいって思ってた。ガキだったけど、本気で。だけど」
ほんとうは、さびしかった。

そして、見つけたオールブルー。夢。

「俺、"あの時"死ねたのに、死ねなかった」
「ジジィは、俺のせいで足一本失くしたんだ…っ」

きっとゾロには訳が分からない言葉の羅列だろう、と心の中の冷静な部分が思う。
ゾロにはまだ、断片的にしか母親の話をしたことがなかった。
怖かったから。言葉にすること自体が。
いまだこうやって囚われている自分を、ゾロという男はどう見るのだろう。
一方で、一度始まってしまった嗚咽は止まってくれない。
苦しい。苦しい。…痛い。
「サンジ」
手を引かれる。強くはない、でもしっかりと。
そっと目を開くと、ぼやけた視界の向こうでゾロが自分をまっすぐに見ている。
来い、と静かに語る目に従い、サンジはゾロの肩に頭を預けた。
「この船のコックは誰だ」
「…俺?」
「疑問系にすんな。お前だお前。こないだ買出しの時にナンパされて困ってた女助けてヘラヘラしてたのは誰だ」
「俺か?」
「そうだこのアホ。オレのこと置いていきやがって。じゃあ、食料がやばくなると自分のメシ抜きやがるアホは誰だ」
「…知ってたのか」
「あの、ヒゲのおっさんが自分の足と引き換えても助けた夢見るアホは誰だ」
「…」
「生まなきゃよかったって言い続けながら、お前を生んで殺さずに棄てた、女の息子は誰だ」

「……お、れ…」

ぽた、と大粒の涙が零れ落ちる。広い肩に大きなシミが増えていく。
「お前、今生きてんじゃねェか」
そっと顔を上げさせられる。
ゾロがまじめな顔をして、指先が再び俺の目元を拭う。 そして指先をぺろりと舐めて、しょっぺェと呟き小さく眉根を寄せるのが見える。
顔を上げた拍子にサンジの視界の端でさらりと耳元で金髪が揺れた。きんいろ。
あのひとと同じ、髪のいろ。

「それだけじゃ、だめなのか」
「この船の連中は、みんなお前が好きだぜ」
「だから、いいんじゃねぇのか」

ホントは知ってた。
養父が初めて食べさせてくれたケーキは、幼い自分のために甘く甘く仕上げられていたこと。 他のバラティエのコックたちだって、当日には妙にソワソワしていたりして。
そのたびに、俺は隠れて泣いて。泣いて。
ふりつもる罪悪感。

「あのひとは、」
「あ?」
「あのひとは、しあわせかな」

俺を殺さなかった、殺さずに棄てたあのうつくしいひとは。

「そうだろ。―――お前が幸せならな」

かちり、とピースが嵌まる音。
すべてが甘くとけていったりはしないけれど、それでも。
不覚だと、サンジは思う。不覚だ、――クソ剣士相手に。
でも、分かっている。
目の前で穏やかに、そのみどりに俺を映す男が俺にとってどのような存在であるのか。

「…ぞろ」
「ん」
「俺な、今日」

たんじょうび。

最後まで言えたのか分からないまま、サンジの意識はふっと崩れた。
ナミさん。
ごめんね。
ゾロ。

―――ゾロ。

ゆるされたいわけではなかった。
ただ、

じぶんがあいするひとにあいされてみたかった。


***


目が覚めて、一番最初に見えたのは何故か天井ではなくぼんやりとしたオレンジ色だった。
「ナミ、さん」
心配そうな表情はでも、サンジの目が焦点を結んでいくにつれて段々と険しいものになっていく。 ごん、という音と共に衝撃。 ナミの手がぎゅっと結ばれているのを見て、ああ殴られたのかと納得した。
少し視線を落とすと、文字通りおろおろしている船医が見える。でも、止めない。
少し視線を上げると、ナミの後ろに船長と狙撃手と考古学者が見えた。
―――剣士は、いちばん後ろ。

「サンジくん」
「ナミさん」
ベッドに乗り上げて、怒ったような顔をしているのに、ナミの瞳には涙が見える。
その理由が、サンジにはよくわからない。
「…ごめん、なさい」
「ナミさん?」
きょと、とナミの顔を見返すと、彼女はきゅっと目を瞑ったあとににこりと微笑んだ。
「サンジくん、お祝いしようね」
「へ?」
「今日はキッチン立ち入り禁止ね」
「えぇ?」
「ど、ドクターストップなんだぞサンジ!」
「じゃ、私とロビンで篭るから!」
身を翻してナミは、くすくす笑うロビンの服の袖を引っ張って部屋を出て行った。
続いてルフィがとたとたとベッドに近付いてくる。
「…ルフィ?」
「今日は、肉、やる。」
「あ?」
「俺の肉。ちょっとやるな、サンジ」
言うだけ言ってくるりと背を向けたルフィを半ば呆然と見送る。 ルフィが閉めた扉の立てた音がどこか遠くに聞こえた。 どうしたらいいのかわからなくてサンジは思わず離れた位置で壁に背を預けているゾロを探すが、 見つけた剣士はこちらを見ていて、そしてその視線がひどく穏やかなもので、更に戸惑う。
「サンジ」
名前を呼ばれて視線を傍らに移せば狙撃主と船医。
「サンジ、静かに寝てなきゃだめなんだからな!でも、寝てたらちゃんと治るんだから、寝てなきゃだめだぞ!」
「俺様の英雄譚を子守唄代わりに寝かせてやってもいーんだが、まぁお守りはそこのゾロに任せるわ。 チョッパーと男部屋にいるから、なんかあったら声掛けろよ」
じゃあなー、と手を振ってチョッパーとウソップが連れ立って部屋を出て、とうとう部屋にゾロと二人残されてしまった。
ゴツ、と静かな剣士の靴の音。閉まった扉から目を彷徨わせると、ゾロがこちらへ歩いてきていた。 サンジの目の前で止まり、くしゃりと髪を掻き回される。
「…ぞろ…?」
「お前、ガキみてぇ」
「な、」
「気付いてねェだろ。お前寝てんの、ナミのベッドだぜ?」
「……ッ!!??」
がば、と身を起こして周りを見渡せば、確かに給仕の時にしか入ったことがない女部屋。 そのベッドの主はナミしかいない。瞬間、サンジの頭にカッと熱が走る。
そのまま降りようとするが、頭を押さえたままのゾロが手をどかさないので動けない。
「寝てろ」
「だって、ここ、」
「いいから。安静にしてねェとナミに今度こそ嫌われるぞ?」
じわり、と目頭が熱くなる。くつくつと笑うゾロに腹が立つ。
「くそやろ…」
「いいから、寝てろ。」
へた、とシーツに身を沈めると冷たくてとても気持ちがよかった。
逆に、頭のなかと身体が熱くてたまらない。
「知恵熱だと。考えすぎだ、このバカ」
「ばかじゃないー」
「泣くな。」
「…わけ、わかんな…」
「覚えとけ。みんな、お前が好きなんだ」

「好きなんだよ、サンジ」

くしゃりと頭を掻き混ぜる手が優しくてあたたかくて、どうしようもなく、

「誕生日、おめでとう」


この手だけは信じられる。
諦めではなく、願いを込めて。

ぼうっとしてきた頭になんとか抵抗して、 ありがとう、と答えた声は微かに掠れて、 でもゾロが笑ったから言葉は届いたのだということにして、サンジは目を閉じた。





2008/02/29



甘え下手。
サンジ誕生日おめでとう!