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危ねェ。俺以上に。


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―――気配。

傍らの鞘を引っ掴み、前方に構える。ほぼ同時に刀身を衝撃が襲った。
「くらァ、クソ剣士。お前俺に喧嘩売ってんのか、そうだよな、間違いないな?」
「…アホか」
刀身を押しやって、革靴をどける。
見回せば、日が暮れかけていた。ほんの少し肌寒いかもしれない。
サンジが半眼で剣士を見下ろし、煙草を銜えたまま一つ溜息を落とした。
「メシだ。つーかお前のその寝汚ねェのはどうにかなんねェのか?」
「お前の女癖の悪さよりはマシだと思うが」 答えながら立ち上がる。
「なにィ?」
碧眼が、半ば殺意を抱いたような目で睨み上げてきた。
本当に目つきが悪い、と思う。 この料理人の口は本当に良く回るが、黙っている方がそれこそモテるんじゃないかというのが仲間となってからここ数日のゾロが抱いた感想だ。
「てめェな、女癖が悪いっつーのは数多のレディを泣かせる男どころか人間の風上にも置けねェ最ッ低なクソ野郎のことだぞ! 訂正しやがれこの緑ハラマキ、俺はレディを泣かせたことは一度も無ェぞ」
「泣かせるような仲まで行ったことが無ェってことだろ?」
意地悪く、意識して口角を上げてやると、更に料理人の目つきが険しくなる。
その瞳の青は、海の色だとゾロは初めて気付いた。
「言ってろ。…クソ、てめェなんかには判んねェんだ。レディの暖かさもしなやかさも、美しさも強さも」
「強ェ、ってのはナミみたいなのか?あれはむしろ」 魔女、と言おうとしたところで視界を革靴が遮った。
咄嗟に刀を引き寄せる。
「……っぶねェな!」
「狙ったんだから当たり前だろ素直に海の向こうまで蹴り飛ばされやがれ天然記念物」
「蹴られるか!」
岩を砕く男の蹴りをどこの誰が好き好んで受けると思うのか。
「ナミさんは、強ェ。聡明で、美しくて、強ェ」
そんで、と料理人は続けた。
「…弱ェ。素晴らしいレディだ」
「…」
驚いた。ゾロはその時、ラブコックにならずにナミのことを話すサンジを初めて見た。
そして、ふいに、瞳が伏せられた。少し逡巡するような間があってから、再びサンジが口を開く。
「お前、この船で一番年長なんだろ。責任持って、あのバカ二人組ちゃんと教育しやがれ。ナミさんにお手間をかけさせるんじゃねェよ」
言って、サンジは上げたままだった足を静かに甲板へ下ろした。
「バカ… って、ウソップとルフィか?あれはもうどうしようも」
首を振ると、料理人は笑って百八十度身体の向きを入れ替えた。ゾロに向けられるのは黒い背中。
「さっさと来いよ、食いっぱぐれるぜ」
と、響くばたーんと勢い良く扉の開いた音。
「…ああ、もう遅かったか?」
続いて届くのは「サンジー!うまかったー!」という船長の叫び声だ。
「後で夜食作ってやる。寝とけよ、腹の傷まだ完治してねェんだろ」
判ってるなら蹴るんじゃねェ、と言おうとして、何故か言葉が出なかった。
コツコツと革靴は音を立て、ゾロから離れていく。 聞こえなくなるくらい足音が離れてから、ゾロは歩き出さずに再び甲板に腰を下ろした。時折吹く風は肌に冷たい。

…はぐらかされた。なにかを。
それだけを思った。


***


深夜、と呼ぶには僅かに早い時間。ゾロはラウンジの扉を開いた。
キッチンの中に見える姿は、ここ数日ですっかりキッチンの主となってしまっていた。
「お、流石に腹減ったか寝太郎剣豪」
「…酒」
呟く。と、くるりとこちらを向いたサンジが眉根を寄せておたまを突きつけてきた。
「酒の前に、食え!それから飲むなら飲め。つまみも出してやる」
「つまみなんか要らねェ」
「要らねェじゃねェつまみと一緒に酒を飲めコックの言うことは聞きやがれさもなくば餓死だ」
しばし、視線を交え。
「…判った」
折れたのはもちろんゾロだった。テーブルの一席に腰を下ろすと、コトリと一枚目の皿が置かれる。
続いて、二枚目、三枚目。最後にグラスが置かれた。
満足げな料理人を見て、料理が出揃ったことを確認し。ゾロは、手を合わせた。
「いただきます」

食べ終わり、最後に水の入ったグラスを空にする。
ごちそうさまでしたと再び手を合わせ、ふと視線を上げると向かい側に料理人の不思議そうな顔があった。 いつの間にか座っていたらしい。煙草片手に睨むでもなく、サンジは黙ってこちらを見ている。
「…なんだ?」
視線に耐えかね尋ねると、サンジが首を傾げつつ「それ」とただ一言呟いた。
「は?」
「その。『イタダキマス』と、『ゴチソウサマ』。他の奴らもいうけど、それ、結局、何なんだ?」
「言わねェか?飯食う前に『いただきます』、食った後に『ごちそうさま』。ガキの頃の親の躾の一部だと思ってたが」
「知らねェな。大体俺、親のことほとんど覚えてねェし」
あまりにも、ごく普通にぽんと返された答え。一瞬、思考が凍った。
言葉自体は聞いたことあるし調べもしたんだが意味が判んねェ、と料理人は大きく伸びをした。
「ジジィは十歳の時から養い親だが、その前は俺、客船でコック見習いやっててな。 コック連中は皆気のいいやつだったけど、 例えば今のお前らやバラティエに来てた客達みたいに皆揃ってメシ、なんてしたこと無ェからさ」
へへっと笑って、それから少しだけつまらなさそうな顔をしてサンジはべたっとテーブルに伏せた。
「俺さ、自分で調べたことがあるんだけど。ノースでは、食事の最初と最後は祈りの言葉なんだ。なんて言ったかな、覚えてねェけど。 意味は、そうだな、『神よ 我々に食事と恵みを有難うございます』、…て感じの」
ゾロがじっと金色の小振りな頭を見つめていると、ふと視線を上げたサンジと目が合った。
途端、料理人は苦笑を漏らす。
「お前、なんて顔してんだよ」
「あぁ?」
「迷子になった、ガキみてェ」
くす、と笑ったサンジからゾロは視線を外した。
「…イーストでは」
「あ?」
「飯の時に、神に祈ったり、しねェ。『戴きます』『ご馳走様』は糧となってくれた食い物と、食事を用意してくれた人に対してする感謝の言葉だ。少なくとも俺はそう習った」
「へェ?」
身体を起こしたサンジが邪気無く笑う。海の瞳が、お前俺に感謝してんの?とゾロに問いかけている。
料理人の瞳は雄弁だ。
目は口ほどに物を言うというが、この金色の場合、言葉より瞳の言葉の方がおそらく真実に近い。
そういえばサンジは料理人だったと、今更ながらに思った。

与えて。与えて。与えて。

ゾロ自身だってこうして食事を与えられ、喧嘩も交えながら優しさを与えられ。
アーロンパークでは、明らかに守られた。自分の身を全く省みる事無く、サンジは水へ飛び込んだ。
自分だってサンジが居なければ同じ事をしただろうという自覚はあるけれど、落ち着いて考えればまともな思考回路をした人間のすることではない。 はっきり言って自殺行為だ。
サンジは空いたゾロのグラスを揺らしながら、何を言うこともなく黙っている。

―――簡単だろ、野望を捨てるぐらいッ!!!

あの時。とおく聞こえた、声。
あれが今目の前でへらへら笑っている料理人の言葉だと知ったのは、ナミを追っていた小船の中でだった。 ふざけんな、と思った。そんな泣きそうな声で言ったって説得力なんて無ェんだよ。
そのとき、すとん、と。何かがゾロの中に落ちた。

野望の為に命を捨てられる自分。
野望を抱きながらも、おそらくいつだって他の何かの為に動く男。
どちらも救いようが無い自分勝手ではあるが。

(絶対ェ、こいつの方がタチ悪ィ)

「クソ剣士。酒飲むのか?」
「…おう」
「おし、ワインラックの上段二段目、右から四つ目。俺も飲むからグラス出せ、コレ水に漬けてつまみ出すわ」
答えの代わりにゾロは席を立った。少し遅れて、サンジがテーブルの上から皿を浚う。
瓶を持って席に着き、正面を見ればキッチンの中で楽しげに動く細い背中が目に入る。

こいつはいつか、自分以外の何かの為に死ぬ。
自分よりも一回りは小さいその背を見ながら、漠然と思う。

居ないのか?
底抜けのこのお人よしに、なにか与えることのできる人間は。

「つーかお前やっぱ十九じゃねェよその飲みっぷり。水じゃねェんだぞ?」
「うるせェな、そういうお前はいくつなんだよ」
「一応は同い年だバァカ。」

けらけら笑うサンジの二度目のその言葉を、一応?と、尋ね返すことを、ゾロはまたしなかった。

誰か。…誰か、居ないのか。
こいつを抱きしめる人間は。

その夜、潰れる前に赤い顔をして料理人が言った。
「俺、この船の奴らすっげェ好き」
「ナミさんはもちろんだが、ルフィもウソップもな。…俺たぶん、お前も好きになれると思うんだけどなァ」

俺のことは現時点では好きじゃねェのかよと言ったら、へへへと笑って料理人は答えた。

―――てめェ見てるとな、泣きたくなる。

泣けばいい、と思う。
好きにもならなくて良い。
ならなくていいから、俺を好きにならないぶん少しは自分を守りやがれ。








それから、金色から目が離せなくなった。




2005/03/31