最初からあいつだけが違った。
…あいつ、だけが。 すきじゃない 晴れた空へ上っていく紫煙の行く先を見つめながら、例えば、サンジは航海士のことを考える。 つい先日長年の呪縛から解かれたばかりの、最年長であるゾロよりひとつ年下の彼女。 肩まで伸びたオレンジ色の髪に、紅茶みたいな色の綺麗な澄んだ瞳。 暴れまわるルフィやウソップを踏みつけたり鉄拳制裁しつつも、よく悪戯っぽい光を宿しているそれが揺れたのを、サンジはこの船に乗ってから見たことが無い。 すきだ、と思う。 サンジが出会った中でもナミは特に素晴らしい女性だ。 凛としたその花は既に太陽みたいな船長に向かって咲いているのはもう知っているが、自分の中でこの上ない存在であることには変わりない。 そして、狭い海上レストランの中で立ち止まっていた自分の背を押した船長のルフィも、 ルフィと一緒になって盗み食いするのは頂けないが、さりげなく新入りの自分を気遣ってくれたウソップも。 好きかと問われれば、すぐにイエスと答えられるだろう。 ―――男連中に関しては当人が居ない場所でなら、という条件がつくが。 向かう感情の中身は全て少しずつ違うけれど、好意は好意に変わりは無い。 一緒に航海した日々はまだそう長くは無いけれど、皆文句無く大事な仲間だ。サンジの中にはもう既に、そんな認識がある。 たったひとりを除いて。 *** 普段通りに朝食の用意をして、普段通りクルー達に食事を摂らせ、普段通りに後片付けをしている頃に決まってふらりとひとりの男が姿を現す。 もちろんクルーの一人だ。 たったひとりの純戦闘員。サンジがウソップから聞いたところによると、ルフィの一番最初の仲間。 東の海の魔獣。 海賊狩り。 三刀流。 ―――ロロノア・ゾロだ。 「…飯、あるか」 ふあ、と欠伸を漏らしながらがしがしと頭を掻いている緑ハラマキ姿は絶対に十九歳ではない。 誰に親父呼ばわりされても否定できないだろう。 ここ数日で、本人にその意識は皆無だということは判っていたが。 「遅ェぞアホマリモ。ちゃんと時間に起きて来いって言ってるだろうが?」 言いながら、キープしておいた朝食をテーブルの上に並べてやる。 「スープ暖めとくから先に顔洗って来い」 「あァ」 ぱたんと静かに閉まる扉。離れていく安全靴の立てる足音を耳に、サンジは小さく息を吐いた。 鍋を火にかける。残り少ないスープは、直ぐに温まるだろう。 …ロロノア・ゾロは、この船で一番小さな音を立てて歩く。 こぽこぽと音を立て始めた黄金色をぼんやりと見ながら、再び息を落とす。 煙草を取り出して、火を灯す。 思考回路の中では幾度も呼んでいるその名を、サンジはまだ音にのせたことが無い。 スープを皿に移した頃、再び剣士がキッチンの扉を開いた。 目が合う。先程よりも幾分眼が覚めたらしい深緑の瞳。 「…クソおはようございます天然記念物。座れ」 皿を持ったまま片手でテーブルを差してやると、ゾロは少し目を細め口を開いた。 「お前、俺の分の飯いちいち別に作ってるのか?」 「ハ、唐突に何を言い出すかと思えば。俺の朝の挨拶には返答なしかよコラ」 テーブルの上に音も無く皿を置く。向き直ると、剣士は半目で口を尖らせていた。 (マジで何歳だコイツ) 「…『オハヨウゴザイマス』。俺の質問は無視かよクソコック」 「あァ!?なんだその棒読みはっ、朝の爽やかな空気に力いっぱい抵抗してんじゃねェっ!」 「うるせェないいからさっさと質問に答えろよ!」 頭の片隅が冷静にだめだ、と思った。このまま普段通り喧嘩に突入してしまっても悪くはないが、スープが冷める。 「判った。オニーサンが質問には答えてあげよう、…だから座れ。そして俺のメシを食え」 さして変わらない身長差。わずかに睨み上げると、ゾロは軽く頭を振ってから息を吐いた。 「てめェ、メシ食ったのか」 「いや?まだだけど」 「食え」 …は? 目の前で、どかりと椅子に腰を下ろしたゾロが「いただきます」と手を合わせている。 スプーンを取ったゾロが、再び立ったままのサンジを見た。深緑の瞳には不思議そうな色が浮かんでいる。 「食ってないんだろ?お前も食えよ」 「…幻聴?」 思わずサンジが呟くと、違ェ、とゾロが小さく言った。 「座って、食えよ。お前のメシだろ」 「美味いんだから、食え」 ―――今なんて言った、この男は。 「…えぇええぇえ?」 「何ヘンな声あげてんだ頭の螺子飛んだか?変なカラクリならウソップがすげェぞ」 違ェ、と今度はサンジが言う番だった。ゾロの向かいの席に座る。 「…お前のメシな。わかりやすーく簡単に言えば、大抵はなんだって作りたてが美味いんだ。 だから、味が変わるようなのは最後の工程だけ残してお前を待つこともあるし、そうじゃねェのだって勿論在る」 お前の質問にはイエスともノーとも言えねェ、とサンジは首を振った。するとゾロがやけにしみじみと 「なんつーか、…大変だな。コックって」とのたまったので、サンジはきつく睨みつけた。 「お前がちゃんと起きてくればこんなことしなくていいんだよアホ剣士」 「それもそうだ」 と、ゾロが笑った。 子どもみたいに。 ルフィやウソップと遊んでいる時に時折見せる、年齢よりも幼い、とても噂で聞いていた『ロロノア・ゾロ』とは繋がらない笑顔。 初めて自分に向けられた、それ。 元々この船のクルーは皆ガキくさいのだ。当たり前だ。だって、前しか見ていないんだから。 「起きて来いよ。皆でメシ、食え。 俺の料理は確かに美味ェけどな、一人で食うよか大勢で食ったほうが美味いことくらい判るだろ?」 「あー… 故郷出てからほとんどひとりだったし、この船でもお前が来るまでは自分の飯は自分で、だったからな。 そういう感覚は良くわかんねェが」 ごちそうさまでしたという言葉と共に、スプーンが音も無く置かれる。 「お前が言うならそうなんだろうな」 ―――ああ、やっぱり。 「おう。…ルフィとメシ争いしてる間に目も覚めんだろ、食卓でのあいつは正にケモノだ。とりあえずラウンジまで来い。そしたらあとは俺が蹴り起こしてやるよ」 ―――こいつだけが違う。 「そうならねェよう善処する。そういやお前、夕飯の時だけは呼びに来るな?」 ―――こいつだけ。 「…昼飯食いっぱぐれるどっかの緑苔が居てな。夕飯ぐらいまともに食え」 朝は無理だが、夕方なら長っ鼻もナミさんも、自分の分確保する気力はあるからな。 真正面から睨むと、またゾロが笑った。 *** すき、じゃない。 例えばメシを美味いと言われても、ガキくさい笑顔を見ても。 騒ぎまわってるルフィや、発明をこんこんと説明するウソップや、夢中で海図を描いているナミさんを見ていても、こんな気持ちにはならない。 今まで出会ったどんなレディにも、バラティエに居た親愛なるクソ野郎どもにだって、こんな気持ちは抱いたことが無い。 俺の知っている好意は、もっとあったかいもの。 こんな、なんでもないのに痛いような苦しいような、そんな気持ちは知らない。 だから俺は、ロロノア・ゾロが好きではないのだ。 ―――たとえその傍が、どんなに居心地良くても。 2005/03/28 |