You must not open the box.
You must not answer the question. You must not use the key to open that door. 溺れる魚 「お前、俺がリトルガーデンで両足切り落とそうとしたっつった時、あとで吐いてただろ」 瞳はまっすぐサンジを映したまま、ゾロは静かにこちらに手を伸ばしてきた。 どく、とひときわ鼓動が大きく鳴る。 「…何で」 知ってる、まで言葉にならなかった。半ばで途切れた言葉を置き去りに、再びゾロが口を開く。 「偶然と言いたい所だが、違う。 いつもみてェに文句言いながら俺の足の手当てやってたが、あの時のお前は顔面蒼白だった。だから俺はずっと気をつけてた」 「―――は。剣豪様が俺の心配?その前に手前ェの心配しろってんだ。 どんだけ怪我したら気が済むんだよ、野望をどうにかする前にお前がくたばるんじゃねェのかよ?」 さらり、さらり。視界の端で、潮風で少し痛んだ金色をゾロの手が梳くのが見える。 「挑発しても乗る気は無ェぞ、いいから聞け。…悪かった」 「何が」 後でルフィに聞いた、と剣士は静かに言った。 「お前が俺に言った言葉の意味が、あの時は全然判らなかった。でもルフィにお前の話を聞いて、…謝ろうと思った」 もしも知っていたとしても、やっただろうことではあるけれど、それでも。 「悪かった」 「…俺の過去を聞いて?だからどうしてお前が謝らなきゃならねェ?関係無ェだろ、んなことっ」 ぎりりとスーツの裾を掴む。煙草が吸いたい、とサンジは思った。 視線は外せない。 負けたく、ない。 ただそれだけ。 「関係無くねェ。現にお前は俺の行動で痛みを感じただろう、それだけで十分だ」 「…何言ってんだ、クソ剣士。いい加減に」 「するのはお前だ、あほ」 言うや否や、ゾロがサンジの右腕をぐいと引っ張った。 体勢が崩れ、サンジの身体はゾロに抱きこまれるような形になる。 慌てて身を離そうとするが、馬鹿みたいに強い力のせいで敵わない。 「お前、ふざけ―――」 「酔狂でこんな事言いやしねェ。…俺は、ドラムで意識の無ェお前を見た時世界が歪んだ」 …何? 思わず緩んだ抵抗する力に反比例するように、ゾロが抱きしめる腕の力が強くなる。 ごつい手がさっきよりも大きな動きで髪を滑るのが分かったが、サンジはただ黙っていた。 ぶつけるべき言葉が、見つからない。 (待てよ) こいつは今、何を言おうとしている―――? 「ルフィがどんだけ無茶やったって気にならねェ」 「ナミがぶっ倒れたって、あの女が死ぬわけねェって思ってた」 「ビビもルフィ並に無茶しやがるから目は離せねェけど、だからって」 「お前に対してみてェな気持ちになんかなったりしねェ」 ―――お前だけが。 「死ぬな、サンジ」 アラバスタではまたおそらく、いや確実に大きな戦闘が待っている。だから。 「戦うなとか逃げろとか、そういうことを言ってるんじゃねェ。分かるか」 「…ゾロ?」 「お前は最初からそうだった。自分以外の何かの為に、平然と自分を投げ出しやがる」 「そんなこと」 「無くねェ。俺は最初から死ぬ気なんかさらさら無ェけど、お前は違うだろ。 いざとなったら自分より別の何かの方を優先するだろ。お前はそういう奴だ」 「…」 「どんな生き方したって、その結果たとえ死んだってそれは手前ェの勝手だ。仕方無ェ。 俺が口出しすることじゃねェ、そんなこた分かってる」 けど、と。ゾロは痩身を抱きしめる力を、再びほんの少しだけ強めた。 「…俺は言葉が巧くねェし、お前みてェに口も回らねェ。だから何度でも言う。いいか」 「アホっぽく笑って、騒いで、怒って、蹴って、美味ェ料理作って、自分よりも大事なモンを一杯持ってる。…そういうお前が、俺は好きだ」 だから死ぬな。 心の、奥。 なにか欠けていたものが埋まった音がした。 するりと拘束が解ける。 月明かりは変わらず、月はゾロとサンジに静かで冷たい光を注いでいる。 いつだってまっすぐな光を宿している深緑を、サンジは見つめ返した。 今自分はどんな顔をしているのだろうか。ふと思ったが、ゾロの表情からはそれを窺うことが出来ない。 ただ、すごくあほな顔をしているんじゃないかな、とサンジは思う。 だって、たった今全てが解けたから。 腹の底から笑いたい気分だ。ああ、とても簡単なことだったのに。 「ゾロ」 「俺はもういやだ。自分で気付いてるかどうか知らねェが、お前はいつも遠くから俺たちを見てやがる。 でもそれは俺たちが遠いんじゃねェ、お前が自分から離れてやがんだ」 「…ゾロ」 「どんだけ手を伸ばしても声を上げてもお前には届かねェだろ。あいつらがどんだけお前を好きなのか知らねェだろ。 どんな気持ちでお前を待っているか分かんねェだろ。…でも俺はいやだ」 自然視線が地に落ちた。震える指先を意思の力で押さえ込む。 そして、夜の温度でひんやりと冷えた手をそっと伸ばし、ゾロのそれに触れた。 サンジよりも高い温度を宿した手が、力強く、でも優しくこちらの手を包み返してくれる。 「もう、いやだ。待たねェ。―――俺は、お前の傍に居てェ」 それは多分、物理的な距離の問題ではなく。 だって当たり前だ。戦力的な点で自分達はどうやったって離れるのが常だった。 そうでなくとも単独行動が目立つ自分を、サンジはきちんと自覚している。 自分から離れている。そんなふうに見えるのか。 そして彼らは、そんな自分を待ってくれているのか。 ああ、なんだか胸が痛い。 同時に、ずっとぐるぐるしていた胸のあたりがようやくすっきりした。 そうだ。やっと判った。 (俺はお前のこと、「すきじゃない」んだ) はっきりとサンジの目の前に現れた解はそのひとつだけ。 仲間達に向かうこのあたたかい思いと、目の前の男へ向かうそれとは異なる別の温度を孕んだ思い。 そのふたつが、はっきりとサンジの中で存在を主張しているのが分かった。 ほかのクルー達とは違って当たり前なのだ。今なら分かる。 なぜならこれはきっと、最初で最後の。 思わずクスリと笑みを零すと、ゾロの目がほんの少し見開かれたのが見えた。それがおかしくて、サンジはまた笑った。 こんな自然な笑顔を剣士に、――誰かに向けたのは初めてかもしれない。 ―――お前だけが。 サンジは一度だけ指先に力を込めて握り返した。そして、払うようにして手を解く。途端、空気が冷えた。 戸惑ったように揺れるゾロの視線を感じながら、サンジはぎゅっと自分の手を握る。 (…笑え) 思い出せ。 昼間と同じように笑えばそれでいい。戦闘時、下っ端海賊達へ向けるそれでも構わない。 意識してゆるりと口角を上げる。 「…馬鹿じゃねェの、てめェ」 2005/05/27 |