You have only to ask for it and it will be given to you.
溺れる魚 ゾロとサンジは離れて戦うことが多い。 そしてサンジは、殺しても死なないようなこの男がその間にどうにかなるなんて考えたことがない。 それでも広場で合流した時目に入った男の腹からは、 激しかったであろう戦いの痕を主張するかのようにじくじくと血が流れ続けていたし、 顔色だって決して良くはなかった。 避ければよかったのだ。 あんな攻撃、ゾロなら空中であっても避けられた。 なのに、しなかった。 時計塔。 あの数秒間、落下するサンジの瞳にはゾロの広い背中だけが映っていた。 *** 宮殿で、一番最初に目を覚ましたのはチョッパーだった。 続けてサンジ、間を置いてウソップ、ナミが目を覚まし。ゾロとルフィはまだ、一度もその瞳を開いてはいなかった。 「暴れるだけ暴れて眠り込んで起きないなんて、ほんとに子どもよね」とナミは笑っていたけれど。 そのとき、昏々と眠り続けるふたりを―――剣士を見て、サンジの心に何かが落ちた。 あの月の綺麗な夜。砂漠の国へ入る前の晩。 剣士の言葉が、胸を突いた。 『酔狂でこんな事言いやしねェ。…俺は、ドラムで意識の無ェお前を見た時世界が歪んだ』 逃げてるのかな、とサンジは思う。 しかし、仕方がないだろ、とも思うのだ。 だって、お前は。 割り当てられた部屋から少し廊下を進んだところに広めのテラスがある。 そこは目が覚めてからずっとサンジのお気に入りで、チョッパーの目を盗んで煙草を吸うのはその夜で四度目だった。 立ち上っていく紫煙の向こうの、未だ戦いの痕を深く残した街を見下ろす。 ―――アルバーナ。 砂漠の国の都。 美しく、聡明で、強い心を持つ青い髪を持つ少女が愛する国。 彼女の国を救うことが出来て本当によかった。 もうビビの悲しみや怒りの為だけの涙を見ることはないだろうと思うと自然笑みがこぼれる。 背後に微かな気配を感じ、煙草を靴で踏み消した。 「…いた」 予想通りに鼓膜を打った低い声に答えるようにもたれていた手摺から身を起こす。 振り向けば、考えていた通りの男がテラスの出入り口付近に立っていた。 ゾロ、とサンジが名前を呼んだ途端。剣士の身体がずるりと崩れた。 「おい…っ!?」 駆け寄ると、ぐいと腕をを引かれた。 あの夜と同じように、自分よりも力強い腕に抱きこまれる。 本当に怪我人かこいつ、ああでもこいつは魔獣だったっけ。 意味の無い思考が頭を巡っている間に、大きな手が何かを確かめるようにサンジの身体を滑りはじめる。 その手の動きは決してそれ以上のものではなく、乱暴でも優しいわけでもなかった。 ―――ふざけんな。 剣士がいつものようにその深緑の瞳を開いたなら、開口一番そう言ってやろうと決めていたのに。 「…ゾロ」 声が、出ない。 一通り身体に触れて満足したのか、ゾロが大きく息を吐いた。 「満足したかよ」 なんとか言葉を捻り出し問うと、剣士は小さく呟きを落とす。 「…よかった」 「何が」 「手前ェが生きてる」 俺が寝てる間に何処行ったかと思って焦った。 そうしてかつて、東の海の魔獣とまで呼ばれた男は、子どものような顔で笑った。 瞬間、ぎりりと心が悲鳴をあげる。 「馬鹿言ってるんじゃねェよお前、あの時俺が何言ったか忘れたのかっ」 「あァ、ふざけんなとか信じられるかとか俺は女じゃねェとかなんか色々言ってたな」 「それで何で…ッ」 何故、庇った。 サンジの口から漏れたのは、しかしただの吐息でしかなく。代わりにただ一筋、涙が落ちた。 たまらず顔を伏せたサンジを見たゾロは、痩身を抱きしめたまま今度は苦笑いを零す。 「お前、あれ嘘だろ」 流れる涙の跡をぺろりと舐め取りながらゾロは静かに言葉を紡いでいく。 「妙なところで嘘へただよなァ、お前。顔つきは喧嘩ん時の顔だったけど、突付いたら泣きそうだった」 「…嘘じゃ、ねェ。俺は、」 だめだ、という言葉だけがただただ脳裏を駆け巡る。 だめだ。だって、お前は。 俺は――― 「何を怖がってる?」 びくりと身体が震えたのが分かった。怖い?怖いに決まっているだろう。 繋がれた手は、必ず離されるのだ。 「俺はお前の本当だけが欲しい。お前の言葉で、お前の気持ちを俺にくれよ。 別に形にこだわる気は無ェ、でもお前はそうしとかねェと逃げるだろ。 だから言えよ、逃げんな」 (だって手前ェは必ず俺の前から居なくなるのに) 「俺は逃げねェ、だから」 ―――手を伸ばせ。絶対に、引いてやるから。 いいのかな。 (手を、伸ばしても) 逃げないと、目の前のこの男はそう言うが、事はそう簡単なことばかりじゃない。それでも。 (お前、嘘言わねェもんな) 喧嘩ばっかりの自分にさえ、剣士は嘘を吐いたことは無かった。 長い長い沈黙が夜を支配する。 漂うのは微かな雨と砂の香り。 サンジがそっと手を伸ばし、ゾロの白い上着の裾を握った。 ぽつりと囁きのような声が落ちる。 「母さんは」 「ああ」 「最後に俺のこと、あいしてるって言ったんだ」 「ああ」 「そんで、俺のこと叩いて、俺なんか生まなきゃよかったって言ったんだ」 (なぁ) 怖ェよ。 (俺の声ちゃんと聞こえてる) 声が、震える。 「…俺はこの船のやつらがすきだよ。レストランの、クソコックたちもな。それ以外に、俺はすきだなんて気持ちは知らねェんだ」 大事な大事なクルー達。彼らのことを想うだけで心がじんわり熱を帯びる。それはサンジのどこか欠けた心の中でも確かなものだ。 だけど、とサンジは思う。 戸惑う。ロロノア・ゾロという男へ向かう気持ちをいざ言葉にしようとすると、何も出てこない。 こんなのは今まで知らなかった。何と言えば伝わるのだろう。 「俺お前に何言ったらいいのかわかんねェよ、ゾロ」 たとえばお前がくれた言葉を返すだけで、お前は俺の気持ちをすくいあげてくれるだろうか。 そっと視線を上げると、ぼやけた視界に困ったような男の顔が映る。 「あァ、…思いついたこと適当に言ってみろよ」 言われて、サンジは考える。この男へと向かう感情の色を。 「…マリモ、クソ剣士、ミドリハラマキ、もう少し味わって酒を呑め」 「コラ」 「強ェ、と思う。戦ってる時の背中が綺麗だ。一緒に戦るのは気持ち良い」 「俺もだ」 「俺には無ェもんを、お前は持ってる。ムカつくけど、そういうところが、…俺は」 ―――俺は、何だ。 「てめェ見てると、泣きたくなるよ」 肩に回されたままだった腕に目の前の剣士の意思が宿りはじめる。 「…お前だけが、」 お前だけが俺の。 「――き、だ。ゾロ」 お前がくれたこの言葉。お前がくれた思いに、俺のこの気持ちは応えられているか。 「置いていくな、クソ野郎」 2005/06/07 |